大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和44年(あ)1169号 決定 1970年11月10日

本店

栃木県栃木市城内町一丁目八番八号

有限会社

栃木合同精麦所

右代表取締役

増山新一郎

本籍

栃木県栃木市旭町五七七番地

住居

右同町二九の一

会社役員

増山新一郎

明治三七年二月二六日生

右会社に対する法人税法違反、増山新一郎に対する法人税法違反、贈賄各被告事件について、昭和四四年三月三一日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、各被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人三輪一雄の上告趣意中、判例違反をいう点は、第一次上告審判決は、所論の点につき第一次控訴審判決に理由齟齬ないし理由不備の違法があることを理由として、これを破棄したにとどまり、所論のように、被告会社に「記帳外の受入れ」すなわち「当期仕入高」が存したとの第一次控訴審判決の事実認定を是認したものではないから、所論判例違反の主張は、その前提を欠き、その余は、単なる法令違反の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。また、記録を調べても、同法四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 関根小郷 裁判官 下村三郎 裁判官 松本正雄 裁判官 飯村義美)

昭和四四年(あ)第一、一六九号

上告趣意書

被告人 有限会社栃木合同精麦所

同 増山新一郎

右の者に対する法人税法違反等被告事件について左記のとおり上告趣意書を差し出します。

昭和四四年七月二五日

弁護人 三輪一雄

最高裁判所第三小法廷 御中

第一点。 判例違反。

原判決は最高裁判所の判例と相反する判断をした。

一、裁判所法第四条は

「上級審の裁判所における判断は、その事件について下級審の裁判所を拘束する。」

と明定し、右につき、つとに

最高裁判所の

「上級審において下級審判決が破棄され事件の差戻があつた場合には、下級審はその事件を処理するに当り判決破棄の理由となつた上級審の事実上及び法律上の意見に拘束され、必ずその意見に従いこれに基づいて事件の審判をしなければならない」

(昭和二五年一〇月二五日大法廷判決)

旨判示した判例が存する。

二、ところで本件は最高裁判所から破棄差戻された再控訴審判決に対する再上告であるが、

右第一次最高裁判所が本件で示された前記破棄差戻の理由によれば

「然しながら上告趣意第一点後段の所論に鑑み、職権をもつて調査するに、所得を算出するには、売上高(益金)から売上原価(損金)を控除すべく、売上原価は、期首棚卸高に当期仕入高を加えたものから期末棚卸高を減することによつて之を得べきものであるところ、原判決が、記帳外の原料仕入高の存在をもつて第一審判決の原料期末在高についての認定の正当性の一根拠としていることは、その判文上明らかである。

そして右記帳外の原料仕入高については一、二審ともに、本件犯則所得の算出にあたり、これを考慮に入れた形跡は、記録上一切存しない。

してみれば、原判決は、「記帳外の受入れ」すなわち「当期仕入高」が存し、これが当期中に製品化され販売されたことを認めたことに帰するわけであるから、特段の事情のない限り当然、右仕入高を確定して損金として計上するのでなければ犯則所得を把握し得ない道理であるにもかかわらず、事茲に出でなかつたのであつて、原判決は期末在庫高の認定の当否にのみ眼を奪われて、犯則所得の数額を争う論旨の本意を正解しなかつたものというべく、上告趣意第一点所論後段提示の原判断には理由齟齬」ないしは理由不備の違法があること所論のとおりであつて、この違法は判決に影響を及ぼすものというべく、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

よつて刑訴四一一条一号、四一三条に従い、裁判官全員一致の意見により主文のとおり判決する。」

旨、要約すれば、第一次最高裁判所は本件では、

(一) 法律を適用すべき前提の事実としては

「生産量と原料の消費量とが計算上非常にくいちがうこと(生産量の割に原料の消費量が著しく少く足りないこと)従つて一件記録上も多額の記帳外の原料の受入がなかつたとはたやすく断定し得ない」という原審の事実上の判断は「帰する」ところ「記帳外の受入れすなわち当期仕入高が存し、これが当期中に製品化され販売されたこと」を「事実上」認めたもので「判文上」明らかである。

という判断を下し

(二) 進んで法律を適用するに当つて、以上の事実関係の下では

犯則所得の算出にあたり

「特段の事情のない限り当然記帳外の受入れ高を確定して損金として計上すべきものである」

という判断を下した次第である。

註―最高裁判所が前記差戻判決の理由で引用した本件「弁護人の上告趣意第一点後段の所論」とは判示によれば次のとおり記載されている。

「……、次に、「若し右期末原料在庫高を正当とすれば、当該年度における生産量と原料の消費量とが計算上非常にくいちがうことにならざるを得ないのであつて、この点よりするも第一審判決認定の期末原科在庫高は誤りであると解せざるを得ない。」との弁護人の主張に対し、「生産量と消費量とにそのようなくいちがいの存することは記録上否定し得ないけれども、記録にあらわれた被告会社の事業内容その他の状況から見て、それら多額の原料の消費に見合う記帳外の原量の受入れがなかつたとはたやすく判定し得ない。」として右期末原料高に関する第一審判決の認定を支持した原判決には理由齟齬ないし理由不備の違法があるというのである」

三、ところが、こうして差戻を受けた原(第二次控訴)審判決は、前記判決破棄の理由となつた第一次最高裁判所の事実上及法律上の意見に従わず、曰く

(一) 「右事業年度の消費原料とこれによつて生産された生産物の間に所論のごとき不均衡を生じない」

(二) 「昭和二八事業年度の期中に右原料受払帳に記載された以外の原料が仕入れられた事実はこれを認め難く」

(三) (政府の加工委託により受け入れた原料に伴う出目分については、その仕入れ原価を所得の計算上考慮することを要しない)

旨(以上判決書一四枚目表六行目以下参照)顧みて他をいうばかりで本題である最高裁判所の下した事実上の意見を無視して真向から「記帳外の原料の受入」事実を否定し、惹いて「記帳外の原料金額を確定して損金に計上すべし」という法律上の意見を適用する余地を奪つた。これでは第一次控訴審判決もこれに対する第一次上告審の破棄差戻の判決も全然なかつたことと同じ結果になる。

四、前述の如く破棄差戻の理由はいわゆる「事実誤認」ではない。判示「記帳外の受入れ」という事実がはたして認定できるか否か疑があるということで再検討を命じたものではないのである。

職権調査の結果むしろ「記帳外の受入れ」事実を是認し(経験則に反せず、不合理でない)その上でその金高を確定して「損金に算入」することを命じたものなのである。

従つて、第二次控訴審が第一次最高裁判所から「記帳外の受入れ」の存否について更めて審理を尽くしてもよいという裁量は許されてないのであるから、新たな証拠をもつてしても第一次控訴審の認定した「記帳外の受入れ」事実と反する事実を認定することは第一次最高裁判所の判決の拘束力に抵触する違法を犯すものであるといわなければならない。

五、卒直について、原判決は第一次上告審の要請に答えたものではない。なぜならば、判示引用の「差戻后の当審における証人白石利行の供述」によつて、

「本件犯則所得上の当期製品売上高には出目分も含まれている」ことを知り得たのに、その「出目分」の金高の確定をしなかつたからである。

このいわゆる「出目分」が、第一次上告審指摘の

(「記帳外の受入れ」すなわち「当期仕入高が存し、これが当期中に製品化され販売されたことを認めたことに帰する)

ものと同一範疇の「記帳外の受入れ」であることはいまでもない。原判決が、前記「出目分」の確定をしなかつた理由について何も判示していないが、恐らくは、前記引用の証言によつて単純に

「当期製品売上高に含まれている出目分を分離計算することは事実上不可能である」

という結論に達したのかも知れない。しかしこれでは「記帳外の受入れ」を確定したことにはならないということも明白である。もしも原判決がそうした「出目分」を確定することができないということをもつて、本件犯則所得認定の正当性の一根拠としたものであるならば、第一次上告審判決の指摘した

「特段の事情のない限り当然右仕入高を確定して損金として計上するのでなければ犯則所得を把握し得ない道理」

に牴触する。

要するに原判断には前記第一次上告審判決の判示に従わないで、その結果本件犯則所得には、当期売上高に「出目分」という不確定な要素を含んでいて正しい所得の把握ができない状態であるのにかえつてこれを本件犯則所得を認定する正当性の一の根拠とした違法がある。

註1前記「出目分」とは後述の如く当期に属しない繰越が当期に含まれていたことになるのである。

第二点。 法令違反。

原判決は第一次最高裁判所が本件で示した事実上及び法律上の意見を正解せず、そのため、原判決には理由齟齬ないし理由不備の違法があつて、この違法は判決に影響を及ぼすものであり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。

一、既述のように第一次最高裁判所は本件で、

「所得を算出するには、売上高(益金)より売上原価(損金)を控除すべく、売上原価は、期首棚卸高に当期仕入高を加えたものから期末棚卸高を減ずることによつて之を得べきものである」

及び弁護人の総体的観点からする「当該年度における生産量と原料の消費量とが計算上非常にくいちがうという」主張に対応して、当然概括的にではあるが

「原判決は「記帳外の受入れ」(弁護人註「原料」)…………が当期中に製品化され、販売されたことを認めたことに帰する」

旨法律上事実上の意見を示した上で、当該年度の所得を把握するには、右「記帳外の受入れ」を損金として計上するためその金額を確定することを要するという「道理」を説いたものである。

換言すれば、課税所得の計算については課税上当然に費用収益対応の原則(いわゆる期間計算の原則)が予定されていて、この原則が働くものであることを明言し、その適用を示したものである。

二、勿論確定を要する「記帳外の受入れ」高ということは、売上原価を構成する要素としてこれに繰入れる金額のことを指すものであつて、期首棚卸高、とか当期仕入高とか期末棚高といつた用語と全く同じ、意味のものである。

又元来が「記帳外の受入れ」なるものは総体的観点から「当該年度における生産量と原料の消費量とが計算上非常にくいちがうということ」から生れた産物なのであるから、このことを基礎にして推計することは経験則に反せず合理的であり、又その金額の推計も可能だからこそ第一次最高裁判所がこれを確定して損金に計上すべきことを命じたものである。

のみならずこのように売上原価の計算上所要原料の総体的な不足ということから生れ認められた「記帳外の受入れ」原料の問題なのであるから、それは

帳簿を調べたりして個々、具体的にいつ頃如何なる銘柄、品種の原料が数量にして、いくら、金額にしていくらのものを誰から仕入れたか代金も払つてあるか等といつたことの記載もれになつているもの

を探すことではない。

むしろそうした方法で容易に判らないからこそ一に費用収益対応の原則に、則つて正しい所得を把握すべく、かくして認められたのが「記帳外の受入れ」ということなのである。

当該年度における生産量と原料の消費量との間にどれ位の開きがあるかを計算する。生産量の割に原料消費量が少いとき、帳面に記載されていなくとも、その不足分は「それ相応」の原料の消費があつたものと考えなくては道理に合わない、無から有は生じない理由から認められたいわゆる「記帳外の受入れ」なのだから、自らその計算は決るわけである。製品の総売上高から所要原料高を推計し、これと記帳されている消費原料高を対比して、差引き不足する原料高を確定することもその計算方法である。又反対に記帳されている消費原料高からこれを製品化した場合の総売上高を想定推計し、これと記帳されている製品の総売上高とを対比して、差引き過大な売上高から、その分を製品化するに必要な所要原料高を推計する方法をとることも可能である。現に弁護人は後者の方法から著しい原料不足のあることを発見し、その金額も割出しているのである。

三、ところで原判決は、いわゆる「記帳外の受入れ」について、これが前述の費用収益対応の原則から認められたものであることを正解しないで、これとは直接かかわりのない「原料仕入に関する記帳もれ」があるか、どうかのそれは記帳簿をつき合せてみればすぐ判る簡単な個々の事実認定の問題であると誤解しそうした観点から盛んに被告会社の諸帳簿類をあさつて、その結果原料仕入の「記帳洩れ」がないという認定を下した。いわゆる総体的な「記帳外の受入れ」の問題を単純な個々具体的な「記帳もれの仕入」のことだと割切つたから、最も肝じんなどれだけの原料からどれだけ製品が生産売上げられたか、その所要原料は経験則に照して妥当か、合理的なものかどうか具体的に検討することを怠り結局これに関しては全く判示した形跡がみられない。

だから原判決の判示していることといえば

曰く

「原料の仕入、加工、売上等の経過が一貫した帳簿体系のもとに正確に整理記帳されてい」(判決書一四枚目表二行目以下)

ることを強調していることである。しかし費用収益対応の法則はこうした帳簿体系や記載ということとは直接関係のない問題である。

更に原判決は

「帳簿に記載された…………個々具体的な数字に基づき…………計算集計すれば…………消費原料とこれによつて生産された生産物の間に所論のごとき不均衡を生じないことが明らかである」。

とも判示している。しかしこれ又費用収益対応の法則はこうした帳簿上の数字の計算集計自体の問題でないのみならず、又それだけで費用収益対応原則上の製品と原料との均衡不均衡が判るものではない。

従つて「消費原料とこれによつて生産された生産物との間の均衡」如何の問題を決定するに当つて、単に帳簿が整理されていたことやそうした帳簿に記載されている具体的数字の計算集計したことをもつて基準とした原判決は結局何ら合理的な基準となる「物差し」なくして均衡を決定したのと同じであり理由の齟齬ないし理由不備の違法があるといわなければならない。

本件で屡て主張しているように、そうした均衝を知ろうとするならば、弁護人主張のような原価計算をすべきであるのに原判決はそのことに触れては何らの具体的な判示をしていない。犯則所得の計算では製品百円当り原価がいくらについているか、そして経験則によれば通例いくらなのか、この両者を比較してこそ始めて均衡の有無、程度を知ることが出来る問題なのである。

因に食糧庁総務部長の回答によれば「市販品は製品一〇〇円当り原料費が一〇一円六〇銭よりも高くつく」ことの経験則の存在を知ることができ他方竹下三武郎の鑑定の結果によれば本件犯則所得計算上の製品一〇〇円当り原価が僅に九三円八二銭に止るという安い計算結果を知ることができる(第二次控訴審記録六三七丁以下)のに原判決はその両方とも

「いずれも右認定を覆すに足りず」

といつて、何ら他の合理的比照の資料や基準を示すことなく「不均衡なし」と論じ去つた次第である。

四、しかも原判決には前述の如く「不均衡なし」と判示しながら、他方でいわゆる「不均衡のあること」を認容したことに帰する矛盾した判示をしているのである。

即ち原判決は、

「(政府の加工委託により受け入れた原料に伴う出目分については、その仕入れ原価を所得の計算上考慮することを要しない。)」

旨判示し、本件で初めていわゆる「出目分」が存在することを認めた。

一体右にいわゆる「出目分」とは何か。

判示引用の返戻后における証人白石利行の供述によれば

「弁護人

被告会社の昭和二八年度の犯則所得に関する更正決算書及び証人作成の同年度の修正貸借対照表、同明細書、修正損益計算書、同明細書によつて当期の製品の売上高が算出されたのか

そうです

その売上高の中には政府委託加工の結果生ずる出目分の売上高が含まれているのか

当然出目分は含まれています

出目分を分離して計算することは事実上不可能なのか

はい、そうです」

と記載され(昭和四二年三月二八日第二次控訴審第九回公判調書記録五八八丁)、これによつて本件犯則所得に関する当期売上高には政府委託加工の結果生ずるいわゆる「出目分」の売上高も含まれていること、右にいわゆる「出目分」を分離して計算することは事実上不可能なことを知ることができるけれども、肝心のそのいわゆる「出目分」とは果して何かということは前記判示引用の白石の証言で知ることができない。

唯、前記白石の証言があつた経緯に鑑みるとき、その証言の前に弁護人から本件犯則所得上の製品売上高、製品百円当り原料費、記帳上の消費原料から推計される生産可能製品の算定に関する算定申請をしたのであるが、その際裁判官に対する求意見により検察官が昭和四一年一〇月六日付その必要なき旨回答した文書のうちに

「委託加工の結果生ずる出目(受入原料を加工してできた製品のうち規定量を納入した後の余剰製品)の売上金額が当期製品売上高に含まれている」(前掲記録五八〇丁)

旨の記述があること、次いで弁護人から同年一二月六日右に関し

「当期製品売上高(益金)には出目分という記帳されていない原料によつてできた余剰製品売上金額が含まれていること」

につき前掲証人白石利行の尋問の申出をした事実があるので、判示にいわゆる「出目分」とは

「政府委託の原料を加工してできた製品のうち規定量を納入した後の余剰製品」

ということになる。

しかし、妻之、いわゆる「出目分」とは、記帳された原料からできた製品ではない。いわば「記帳外の受入れ」原料からできた製品である。しかも当期製品売上高にこの「出目分」の売上高も加算してあるということなのであるから、その結果必然的に本件犯則所得計算上の当期製品売上高と売上原価つまり記帳されている消費原料との間に喰違いが生ずることを否定できない道理である。

つまり、「出目分」を認めた原判決は判示にいわゆる「不均衡なし」とはいえず、「記帳外に受入れ」られた原料のあつたことを認めたことに帰する。

(三) ところで原判決はいわゆる「出目分」に関して

「その仕入れ原価を所得の計算上考慮することを察しない。」

旨判示した。

そもそも、前記のいわゆる「出目分」に関しては判示引用の証人白石の証言だけでは出目というものが本件犯則所得上の当期製品売上高に含まれていること、しかしそれがどれ位あるかの金額の計算は事実上不可能なことを知り得るに過ぎない。判示が一方でいわゆる「不均衡なし」といい、他方でいわゆる「出目分」の存在を認めていること、以上の一見矛盾した表現を併せてこれらを矛盾なく理解しようとすれば、「出目」があるので「不均衡なし」、生産物とその原料との間の不均衡は「出目分」の原料が記帳にないからであるということにならざるを得ない。つまり、「不均衡」、則、「出目分」と解する外ないであろう。もしそうだとすれば、当期消費原料とこれによつて生産された当期製品売上高との間の「不均衡」を計算することによつて前記「出目分」の金額を知ることは可能である。

ところで原判決はこうした「出目分」の存在を認めながら

「出目分については、その仕入れ原価を所得の計算上考慮することを要しない。」

旨判示した。「その仕入原価」の損金算入を要しない趣旨であろう。しかしこれはいわゆる「出目分」が当期に発生したことが判明した場合に限る。当期に属しない「出目分」は当期の益金とする訳には参らぬ。所得計算上の費用収益対応の原則(期間計算の原則)に照しこのような当期に発生した「出目分」でないものについては、その本質上所得の計算から除外されなければならない。要するにこのような「出目分」という不純物は所得の計算に入れてはならないし、もしもあつたら、その分は売上高(益金)の計算から「除」いて所得計算の是正を要する。「除く」にはこの「出目分」を「損金に算入」すればよく、記帳上の当期消費原料高に「出目分」に相当する仕入原価を追加すればよい。

ところが、原判決の判示でも、引用の証人白石の証言によるも、いわゆる「出目分」が当期のものか、どうか判然としていない。勿論当期のものであるという証拠は何処にもない。それにもかかわらず、特段の事情も明らかにしないで「考慮を要しない」旨損金導入を否定した原判断には理由の齟齬ないし、理由不備の違法があるといわなければならない。

四 ところが実はこの「出目分」なるものは当期のものではなかつた。詳述すれば、麦の統制が徹廃された昭和二七年七月一日以前の統制時代、被告会社が発足した昭和一六年の創業から統制徹廃までの約十年間に取得蓄積されたものである。従つて統制徹廃后は全くなくなつたので、判示にいわゆる「出目分」は昭和二七年以前から繰越されてきたものとみる外ないのである。従つて原判決が「出目分」の存在を認めた以上、当然その金額を確定し、且当期のものでないからこれが損金算入をしなければならないことはいうまでもない。

被告人はつとに、本件起訴前である昭和三一年二月二二日関東信越国税局長に対し陳情書を提出していた(乙第 号証第一次控訴審記録一〇四丁参照)。

これによれば

「十、昭和十六年以降の出目分の数量について

昭和十六年から昭和二七年四月までの統制時代の政府委託加工の出目分及昭和二十七年三月二十二日以前の個人買取については未だ数量計算の調査が出来ていませんが他の同業者の平均歩留りにより計算すれば或程度の数か計算出来るかと思考されますので特別の御詮議により相当数量御認め賜わるよう懇願いたします」

と記才されて居り、判示にいわゆる「出目分」というのは、前述の如く「統制時代の出目分」であることを知ることができる。従つて原判決がこのような当期の「出目分」でないものについてまで特段の事情もないのに損金算入を否定したのであるから、その判断には矛盾、理由齟齬ないし理由不備の違法があり、このことは判決に影響を及ぼし、原判決を破棄しなければ正義に反することも明白であると信ずる

以上

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